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2009年06月21日

Biography


経歴:

197682日にイギリス・サリー州・ゴーダルミングに生まれる。幼少の頃、一家はオーストラリア・西オーストラリア州に移住。12歳でジョン・カーティン高校に入学した時、イギリス訛りを取るのに苦労していたらしい。)パース近くのロッキンハム近郊の町ワーンブロで、発電所勤務の父親Ron(現在は退職)と彼と2歳違いの妹Lucindaの世話をする専業主婦の母親Jeanneの愛を受けて育つ。

学業に重きを置いていなかった彼は、17歳の時に奨学金で通っていた高校(John Curtin High School、現在のJohn Curtin College Of Performing Arts) を中退。しかし州立のその高校は芸術に秀でた才能を持つ子供たちを集めた特別プログラムで有名な学校で、サムは400人から500人の中から20人ほどが入学を許可されるドラマ・プログラムに入学。9人の生徒のうちの唯一の男子だった。ロッキンハムからフリーマントルまでの30分のバス通学を共にしていた学友はサムがずっと俳優になりたいと言っていたと話している。演劇の他はサッカーに興味を持ち、実際プレイも上手かったという。パーティー・シーンで見かけることはほとんどなく、生徒会の副会長を務めるなど、学友からの人望も厚く、情熱を一心に演劇に注ぐ学校生活で、17歳までガールフレンドを持つことはなかった。 

高校中退後、家でぶらぶらしていたある日、父親に「自分も何かを成し遂げたい」と告白すると、父親が西オーストラリアの反対側にあるクイーンズランド州ケアンズ行きの片道航空券と400ドルを彼に手渡し「見送りはしてやるが、帰ってくるのは自力でやれ」と彼を送りだした。そして、サムはシドニーに落ち着くまで、オーストラリア中を旅して周り、シドニーでは、工事現場でのアルバイトやレンガ職人をしていたが、あるきっかけから伝統あるオーストラリア国立演劇学院NIDAへ入学の道が開けた。そのきっかけとは、当時のガールフレンドがNIDAを受験するので、応援のためにつきそい、皮肉なことに彼の方が奨学金を得たという話。1週間後、ガールフレンドから破局を申し出られた彼は、NIDAで本格的な演技指導をしっかりと受け、1998年、22歳で卒業した。しかしサムにとってはNIDAの「お固い」演劇指導はあまり好みではなかったらしく「まるで鉄条網でぐるぐる巻きにされていたようだった」「訛りが強すぎるとか、あなたは俳優にはなれないと言われた」と話している。 

彼の初めてのプロとしての仕事は、ベルヴォア・ストリート劇場でのカンパニーB主催の「Judas Kiss」(2000年)だった。その芝居での体当たり演技は、すぐにサムに違う世界へのドアを開くきっかけとなった。テレビドラマの仕事だ。海を超えたアメリカの人気連続ドラマ「JAG」(2000年:邦題「犯罪捜査官ネイビーファイル」(シーズン5-#15)、オーストラリアの連続ドラマ「Water Rats(2000年)がそれだ。しかし彼の大きな飛躍は、同年のオーストラリア作品のミュージカル映画「Bootmen」(邦題「タップ・ドッグス」)での助演でやってきた。彼はアダム・ガルシアの兄の役で、鉄工所で働く若者たちがタップダンスのショーで失業した労働者たちを救うという内容だった。この役のためにサムは、半年の間、みっちりタップダンスの訓練を積んだ。そしてこの役で、オーストラリアのアカデミー賞と言われるオーストラリア映画協会賞Australian Film Institute Awards)の主演男優賞にノミネートを果たしている。

この映画の国際的な成功が、ワーシントンの次なるステップのきっかけとなった。ハリウッドが彼に注目をしたのだ。彼のアメリカ映画デビューは「Hart's War(2002年:邦題「ジャスティス」)、ブルース・ウィルス、コリン・ファレルとの共演の第二次世界大戦を題材にしたものだった。端役ではあったが、セリフもある役を演じ、存在感を示した。しかし、この映画は興行的に失敗に終わり、サムはハリウッドで漫然と芽が出るのを待つことなく、オーストラリアに戻り、犯罪映画「Dirty Deeds(2002年)に出演する。この映画では、ジョン・グッドマン、サム・ニール、トニ・コレットとの共演を果たしている。次のコメディー「Gettin' Square(2003年)では当時の花形スター、デヴィッド・ウェナム(「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ)相手の共演で息の合ったコンビぶりを見せている。そして2004年、「Somersault」において、彼は、感情を表に出すのが不器用で、なおかつ性的に混乱している悩める農家の若者ジョーという、16歳の家出少女(アビー・コーニッシュ)と絡んでいくという役柄で、称賛を得た。作品自体も2004年のオーストラリア映画協会賞で13部門受賞という快挙を成し遂げ、その中には、ワーシントンの主演男優賞も含まれている。彼はその当時、多忙なスケジュールの合間に、短編映画「Enzo(2004年)を手掛け、監督、脚本、作曲を担当し、「Enzo」は世界一大規模な短編映画祭Tropfest 2004の最終ノミネート作品に選ばれている。 

こうした映画界での安定した仕事の傍ら、サムは、連続テレビドラマ「Love My Way」(2004年)に出演、大家族のそれぞれの感情の浮き沈みを描いたこの作品で、評論家から高い評価を得た。2005年には、アメリカの映画界に復帰、第二次世界大戦を扱った「The Great Raid」の助演男優として出演。この作品は、フィリピンのカバナチュアン強制収容所でのアメリカ軍の戦争捕虜たちの解放について描いたもので、興行的には不振だったものの、サムは、ハリウッドのプロデューサーたちの目にとまり、実際、当時、「007シリーズ」のピアース・ブロスナンを引き継ぐジェイムズ・ボンド役の最終候補の中に入っていた。結局、ダニエル・クレイグが継承者に選ばれたが、「007 Casino Royale」(2006年:邦題「007カジノ・ロワイヤル」の監督マーティン・キャンベルは、最後までワーシントンが候補として検討されていたことを明かしている。 

その後、サムは、オーストラリアで医療ドラマ「The Surgeon」(2005年)の主役の麻酔医師、現代版マクベスの映画「Macbeth(2006年:邦題「マクベス ザ・ギャングスター」)でマクベスを演じた。翌年、オーストラリアのスター、ラドナ・ミッチェル主演の「Rogue(2007年)で共演。このサスペンスに満ちた「ジョーズ」スタイルのスリラーは、ボートでのツアーに出かけた旅行者たちが巨大なワニと格闘するというもので、サムはミッチェルのすかしたボーイ・フレンドで、命懸けの救難作業空しく、凄惨な最期を遂げるという役だった。  

ちょうど30歳を迎えたサムは、ある日の朝、鏡に映っている自分の姿が嫌でたまらない気分を味わうことになる。キャリアも順調で、仕事も絶え間なくオファーが来ているものの、自分に満足が出来ないという衝動にかられ、鏡以下、家財道具一切をすべてオークションで売り払うという、コンピューターの「再起動」を自分の人生にかける暴挙に出た。オーストラリアで一応セレブリティーとして扱われている自分なのに、家財道具を売った金額が2000ドルにしかならず、彼は家の賃貸の契約も切り、中古で買った古いトヨタカムリの中で自分探しの生活を始めた。俳優を辞めて、旅に出ようとまで考えていたという。 

しかし、運命の歯車はサムにそうさせるのを許さなかった。同年、サムはこれまでのキャリアの中で最大の作品に出演することになる。伝説の監督ジェイムズ・キャメロンが、12年ぶりにメガホンをとったSF大作「Avatar」(2009年公開:邦題「アバター」)での主役だ。このSFファンタジー映画は、最新鋭のCGI技術と3D技術を融合させたもので、ストーリーは、地球から遠く離れた惑星に植民してきた人類と惑星の原住民との戦いを描いたもの。サムのキャラクター、下半身不随の元海兵隊員が「avatar」(化身)、新しい環境に適応するために自身の脳を、原住民と人間のDNAのハイブリッドで開発された「avatar」に連結する実験の被験者になる。そして、元海兵隊員は、人類と惑星の原住民との間の戦いのはざまに身を置く究極の決断を迫られるというストーリーだ。この巨大プロジェクトにより、彼は、2006年から2008年の間、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドのロケ地を転々とする生活を強いられた。 

Avatar」でのサムの演技を称賛したキャメロン監督は、すぐさまSF大作「Terminator Salvation(2009年:邦題「ターミネーター4」)に彼を推薦した。実はその前に、サムが目標としている自国のヒーロー、ラッセル・クロウが「Charlie's Angels」シリーズ(2000年:邦題「チャーリーズ・エンジェル」)で有名な監督マックGがメガホンを取ると知り、彼に「この男を見てほしい。彼は恐れを知らない真面目な俳優だ」とメールを送っていたことはあまり知られていない。マックGはサムに、半分マシーン、半分人間の役を与えた。今回は死刑囚が情け容赦ない「スカイネット」によってT-800型サイボーグに改造され、今や成人し、レジスタンス軍のリーダーとなった、クリスチャン・ベイル演じるジョン・コナー捜索の密命を帯びるという役どころだ。様々な批評が飛び交う中、この作品は興行収入でも成功したものの、なぜか制作会社が倒産するという不運に見舞われ、現在、版権がヘッジ・ファンド会社の手に渡り、続編制作がどうなるか、ハリウッド中が見守っている状態になっている。サム自身は、アーノルド・シュワルツネッガーが演じたT-800型の代わりを務めるという重要な役どころに果敢にチャレンジし、評論家たちから高い評価を受けた。サムも自身が演じたマーカス・ライトという役柄に非常に愛着があり、もし続編でクリスチャン・ベイル主演、マックGが監督をするなら、ぜひ出演したいと言っている。
 

サムの今や高速ロケットのような快進撃は、まだまだとどまるところ知らず。まず、キーラ・ナイトレイ、エヴァ・メンデス共演の不倫ドラマ「Last Night」(2009年)、ヘレン・ミレン共演のナチス残党狩りを行うイスラエルのモサド諜報員たちを描く「The Debt」(2009年)、この2作は制作会社の倒産によりお蔵入りが危惧されたが、やっと新オーナーが決まり、国際映画祭サーキットでプレミア上映されている。

そしてギリシャ神話の勇者ペルセウスを演じる、レイ・ハリーハウンゼンの名作のリメイク「
Clash of the Titans」(2010年:邦題「タイタンの戦い」)が公開され、世界的に大ヒット作となっている。2009年の「Film Breakthrough Award」においても、彼はアメリカの人気ドラマ「Fringe」でブレイクしたアンナ・トーヴ、映画「Lars and the Real Girl(2007年)の監督、クレイグ・ギレスピーと賞を分かち合っている。その他男性総合誌GQの「Man Of The Year」、映画業界団体ShoWestの「Male Star Of The Year」も受賞している。


その後もサムの快進撃は続く。
テキサスの未解決連続殺人事件の実話をモチーフとした「The Fields」で主役のテキサスの殺人課刑事を演じ、2011年公開予定となっている他、デンマークのサスペンス映画「The Candidate」リメイクの主演、SFコミック原作の「The Last Days of American Crime」では主役とプロデューサーを務めることが決まっている。
またドラキュラ伯爵のモデルとなったブラド王子を演じる「Dracula Year Zero」、イギリスのSFコミック・ヒーロー「Dan Dare」の主役、そしてリチャード・チェンバレン主演でヒットを飛ばしたアラン・クォーターメインを主人公とした「Quartermain」では主演とプロデューサーを務めるという。
俳優業のかたわら、13年来の親友2人と自身のプロダクション会社「Full Clip Productions」を設立、コミック・ブック・ビジネスに進出を果たした。

いつ休むのか分からないほど仕事が山積みのサムだが、彼はこう言う。「ハワイで数日間休みを取って、ビーチサイドでピニャコラーダを飲んでたんだけど、全然リラックスできなかった。俺が一番リラックスして、いい奴になれるのは仕事をしている時なんだ。それも世界で一番恵まれている最高の仕事の一つ、俳優をやっている時がね」 
2010年7月改訂)
posted by dovescookies at 02:55| Comment(0) | Biography | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする